(東京都建築士事務所協会月刊誌 コア東京に連載中)
第6回 ベルリンその3
パウル・ローべ館(2005)
UバーンとSバーンが走るフリードリッヒ・シュトラーセ駅を南下すると、間もなく左側にギャラリー・ラファイエット・デパートが見えてきます。中に入ると、外部からは窺うことが出来ない空間が現れます。円錐形と逆円錐形のガラスカーテンウォールによる吹き抜け空間です。貫通する二本の吹き抜け空間は、商業空間の内部に視覚による新しいアメニティを創り出しています。この円錐と逆円錐のアイデアは1988年、関西空港国際コンペでヌーヴェルが考え出したものですが、よほど思い入れが強かったアイデアとみえ、95年に竣工したこのギャラリー・ラファイエットに使ったのです。
1986年、初めてのベルリンですが、ドイツはまだ東西に分かれていました。文化村のプロジェクトのため、シャロウン設計のオーケストラ・ホールを見学し、夜のコンサートを聴いたのでした。何しろ1963年竣工です。昼間、バックステージを見学した印象では、古いだけに、鉄部のペンキが剥げ、床材が磨り減っていたりしていて、多少野暮ったいデザインが更にみすぼらしくさえ見えました。しかし一旦夜になると、正装した多くの観客が続々到着し、ロビーからそれぞれ専用の階段を使って自分の席に入って行くのでした。いくつもの階段が同時に視界に入り、多くのカップルの姿が揺らめきながら移動する。昼間とは一転した華やかな光景には驚かされました。もちろんホールの客席に身を置いた感激は今でも忘れられません。写真で見知っているとはいえ、低い色温度の照明に照らされ、満員の観客を包み込んで舞台を取り巻く段々畑風の客席空間、そしてカラヤン指揮するベルリン。フィルの演奏。素晴らしい一夜になったことは言うまでもありません。
ギャラリー・ラファイエット(2005)
余談となりますが、最近、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がサイモン・サトル指揮により、始めて映画音楽を演奏しました。全世界で1500万部以上売り上げたといわれる鬼才パトリック・ジュースキンの小説“香水”を映画化した“パフューム”で、華麗な中にもベルリン・フィル特有の重圧な演奏が大きい話題になっています。
コンサートホールの南側を周るシャロウン・シュトラーセ(建築家の名前を使うなんて素晴らしい)から眺めたミースのニュー・ナショナルギャラリーは、二度目だからでしょうか、近づくにつれて重厚さを強く感じました。どっしりとした姿ですが、依然、毅然とした構えなのです。薄ければ、軽ければと違い、40年生き抜いた逞しさを感じます。もちろん、かなり分厚い鋼鉄で作ったことが大きいのでしょうが、アルミやステンレスではこうはいきません。こちらは古びることはおろか汚れることさえ許されない種類の材料なのです。
近接して建つ国立絵画ギャラリー(ヒムラー&ザトラー設計)は避けて通れません。何故ならここにはフェルメールの油絵が二点あるからです。それも《真珠の首飾り》と《紳士とワインを飲む女》は彼の三十数点の作品の中でも、出色の出来の絵だからです。光の表現や遠近法、そして寓意とか象徴性など専門的な分析ではなく、素人が見てもフェルメールの絵には幾つか分かりやすい特徴があります。まずは、殆ど室内画です(2点が風景画)。
連邦議会議事堂(2005)
左の窓から光が差し込んでいる(17点)。楽器が登場(12点)。市松模様の床パターン(11点)。白い毛皮に茶の斑点の付いた襟飾りをまとった婦人が登場(7点)するなどですが、同じ時期に集中して描かれたのでしょうか?帰りに立ち寄ったルーブル美術館の所蔵品と比較しましたが、私の嗜好ではベルリンの方に軍配を上げさせていただこうと思います。
DU/CSU連合が勝利しました。そういう最中のベルリンです。連邦議会議事堂の裏に議会事務局関係諸室の入る建物を挟んで細長い広場があります。石で作られた大きい30個の車止めがコの字型に議事堂を取り囲んでいるフリードリッヒ・エーベルト広場です。感が働き、毎日この辺りをうろついたいたのですが、ある日のこと、新聞記者、TVカメラにレポーター、そしてカメラマンなど、多くのマスコミ関係者が詰め掛けていたことがありました。カイゼル髭を生やす長身の男がマイクを握って何か言っていましたが、TVで記憶のある顔です。傍らにはモニターTVがセットされ、この男が写っていたのです。
どうやらTV中継の準備も整っているようです。これは一大事。何たる幸運。メルケル女史か、少なくともそれ相応の大人物が、どうやら正面の木の扉を押し開けて出てくる寸前と見えたのです。私はカメラの状態を確かめながら、その報道陣の中にそっと滑り込みました。ここがまた実に不思議なところですが、連邦議事堂にはフェンスがありません。誰でも何時でも建物の外壁を触れられるくらいなのです。このエーベルト広場にも立ち入りは自由ですし、プレスカードも無いのに、報道陣の群れの中でカメラを構えて写真が撮れそうなのです。運が良ければ、ドイツ社会民主党の党首であり、首相であるゲアハルト・シュレーダー氏の姿などもカメラに収められるやもしれません。
そう思い込んだらしばらくそこに居座ろうと決めました。しばらくすると黒塗りの高級車が車止めの中に停まりました。降りてきたのは議員でしょうか、連邦議事堂に入って行きましたから、ええ、ここはその様な場所なのです。しかし警備員がほんの2〜3人いるだけというのも不思議です。
ミッテの街角(2005)
誰かが合図をするのでしょうか、時々、雑談してたむろしている報道陣が一斉に木製の扉を囲んで集まるのです。レシーバーを耳に掛け、先端にマイクをつけた長い竿を例の扉の方へ突き出したり、テレビカメラを担いだお兄さん達もワッと扉を囲みます。中継ケーブルが絡みつかないように解く人も万事ぬかりはありません。例のお髭の売れっ子リポーター氏は車止めの上で、マイクを握って何ごとか言いまくっていますし、モニターには彼の顔と例の木製扉とが交互に写っています。私の心が躍ったことは言うまでもありません。
いよいよ撮れそうだと135mm、F=2のレンズを取り付けたカメラを握る手に力が入ります。一体誰が出てくるのかと、周りの連中に訊いても良いのですが、それでは部外者だと分かって、つまみ出されるのが関の山です。ここは一つダンマリを決め込んで頑張りしかありません。木製の重い扉が少し外へ開き出すと、取り囲む数十名の報道陣に緊張感が漂いますし、私もレポーターの隣の車止めの上にあがり、カメラを持つ手に力が入ります。
扉が全開し、一人の中年男が書類を小脇に抱えて現れると、周りを見回すや、少し戸惑いの笑みを漏らし、軽く頭を下げて議事堂へと向かいます。ため息と落胆が合い半ばする中、職員に道をあける報道陣。私が飛び入りしてから例の木製扉は四回開きました。その度に報道陣と私がその周りを一斉に取り囲みましたが全て空振りに終わりました。夕方、寒さが増して俄か報道カメラマン氏は二時間で姿を消したのでした。例のマスコミ関係者が、あれから何時間粘ったのか、首尾良く大ニュースをものに出来たのかは不明です。夜遅くニュース番組をチェックしましたが、あの場所で特別な出来事など何も無さそうでした。尋常なことでは特ダネにありつけないのです。
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