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著作

  風になって  記憶・人間・建築・都市
(東京都建築士事務所協会月刊誌 コア東京に連載中)

第20回 ローマ

パンテオン(1998)
 ローマで興味のある建築物などについて何人かの建築家に尋ねたところ、1.パンテオン、2.サンピエトロ大聖堂+システィーナ礼拝堂となりました。また広場について同様の質問をしますと、1.カンピドリオ広場、2.ナヴォナ広場となりましたが、まずは順当なところでしょうか。しかし、一般観光客へのアンケート調査と比べてみますと、建築物でコロッセオとフォロロマーノが加わり、広場ではスペイン広場にトレヴィの泉が上記を凌ぐほどの人気の高さでした。また特殊な位置づけとして、コスメディン教会の外壁に真実の口がありますが、これも予想された結果です。その他、1.プランド店、2.イタリア料理(パスタ、ピッツァ、リゾット)、3.ジェラード、4.太陽、と続き、“男性警察官”などという答えもあって思わず苦笑しました。いや本当にイタリアのお巡りさんには大変な好男子、それも、男から見てもハッとするようなイケメンが多いことは事実です。
しかし、ローマの原点である古い街、トラステヴェレ地区には他のエリアに無い、渋い魅力が備わっています。この地区に建つファルネジーナ荘の、新しく復元なったラファエロの天井面が秀逸です。ラファエロ色とも言える黄色と明るい青色が、フレスコの天井にふんだんに使われています。しかも見学者が少く、落ち着いて鑑賞できるのです。その他、皇帝ネロが造った地下宮暇のドムス・アウレアこそ凄い等々、好き勝手を言いたくなりますが、ベストですそと強引に絞り込めば、やはり上記のような答えに収斂されそうです。
イタリアでは何をおいても、パリスタ(バールの主人)が滝れるエスプレッソを忘れるわけにはまいりません。微細に挽いたコーヒー豆を深煎りし、高温高圧抽出した非常に濃い酷のある例のコーヒーです。ひとたびイタリアのエスプレッソに慣れたら最後、初めは飲めなかったフランスのエスプレッソでさえ薄過ぎ、レギュラーに対するアメリカン以下の味覚に感じるのです。カウンターで立って飲めば僅か0.7ユーロ。少々気が咎めますが、これにはイタリア人の如く、目一杯の砂糖を入れねばなりません。それでこそイタリアのエスプレッソなのです。エスプレッソの語源は「急速、特別に、あなただけに、抽出する」など諸説がありますが、未だ出典は不明のようです。ただし、イタリア語でエスプレッソと言えば「急行」を指しますし、当時、蒸気機関車の絵を使って宜伝していたメーカーもあって、「速い」のイメージが強く伝えられたとも聞きました。されど、モロッコでエスプレッソと注文すると、エクスブレッソと言い直されるかもしれません…念のため。
スペイン広場(1998)
さて、人気ナンバー1のパンテオンですが、全ての神々を祀るとされた最初の神殿は焼失してしまいましたから、これは二代目(118〜128年)ということになります。直径43.2mの球体をすっぽりと内部空間に内接させるなんて、シンプルで泣かせるアイデアです。パリのマドレーヌ寺院はナポレオンの命令により、フランス軍戦没将兵顕彰に造営目的が変更され、二一ムにあるメゾン・カレ神殿(紀元一世紀)のようなギリシャ風のデザインに改変させられました。でもメゾン・カレのファサードは5スパンですが、マドレーヌは7スパンです。当然、同じ7スパンあるギリシャのパルテノン神殿も参考にしたはずです。
しかし、このマドレーヌ幸院の唐突なデザイン変更よりも、パンテオンの形態的強引さは遥か上をいっています。なにしろ内径43.2m(外径55.3m)の円柱の上に、同じ直径の半球を被せ。ただしこのあとが問題です。何と北正面に、パルテノン(7スパンの立面)の如きファサードのポルティコを、奥行き三スパンだけ取り付けてしまったのですから。正面はともかくも、側面から見ると、とって付けたようなデザインでかなり奇妙なのです。
図面を調べますと、中央にあるロトンダの円形平面は中央で四等分され、それを更に四等分した、正16角形が基本になっていることが分かります。この16辺は8体の神像を収めた8つの壁龕と、7箇所に設けられたアプス(後陣)とボルティコへの出入り口の、計8箇所が、それぞれ交互に配置されています。
しかし、天井のドームに目を転じますと、剛性を持たせるために、頂部に向かって水平に連なる5段の凹格間が見られるのですが、これがどういうわけか各段とも28個なのです。平面形は16角形なのに、上部の球体は28分割です。なぜ下部梼造に揃えて、倍の32分割にしなかったのでしょうか?頂部に穿たれた直径9mのオルクス(眼)を通して青空が見え、時折白い雲がゆっくり流れてゆく様など、とても劇的です。建築家の性でしょうか、長く見ているとこんな疑問が沸き起こります。
カンピドリオの丘(2003)
さて次はカンピドリオ(カピトリーヌス)の丘です。ローマ七丘の中では西に位置しますが、古代ローマのアクロポリス的存在で、宗教上の中心地でもありました。ここにある多くの建造物や広場のデザインは概ねミケランジェロのデザインと言われています。広場に上がる大階段。そして広場を囲む3つの宮殿セナトリオ館(現:市庁舎)、コンセルヴァトーリ館現:カピトリーノ博物館)、ヌオヴァ館(現:同左)、そしてカンピドリオ広場です。
カンピドリア広場は、ご承知のようにスーパーグラフィックとも言える現代的な幾何学模棟が描かれています。12ある楕円の頂点を繋ぐ白い線模様が醸し出すシンプルな躍助感と、バロック的中心性の表現がこの広場を特に世に広く知らしめる存在にしています。占星術からなる天の摂理を表し、黄道十二宮に対応するとの説もあるようです。もっともこれが完成したのは、ミケランジェロからなんと400年も経ったムッソリーニの時代。1940年というのですから驚きです。ムッソリー二は古代ローマ時代の栄華に想いをはせ、本気でここを世界の中心にしようとしたのでしょうか?そうであればまさに狂気です。
サンピエトロ大聖堂(1998)
ローマに1週間滞在する中、映画撮影に二回も遭遇しました。その一つが大掛かりな16世紀の歴史映画です。ミケヲンジェロがデザインしたという、カンビドリオの丘に上がる長さ70mのコルドナータ(石の階段)がその日の舞台で、総勢200名。階段下には撮影カメラを載せた大型車に監督とカメラマンなど7人。侍従、侍女が両側に立ち居並ぶ中、騎士が王妃にお目通り。このような大空間で周囲と一体にして見ていると、実に奇妙な作り物と見えますが、カメラの視界から不必要なものを切り取り、編集すると、完全に中世にタイムスリップしますから不思議なものです。一コマのフレームの内と外に、16世紀と21世紀が同居していると、この撮影風景にカメラを向けるのも一興でしょう。圧縮された螺旋のバネが一つの輪になるように、古代ローマの時代と、ルネサンスの時代と、ムッソリー二の時代と、現在とが、時空を越えて連続して一つの場面に重なります。こんな映像が撮れる街はこのローマをおいて他にはなさそうです。周りを固めている映画の関係者は、観光客の容赦ないカメラのシャッターを警戒して、厳つい顔をしながら、駄目、駄目と、盛んに右手を横に振っていましたがどうにかなるはずもありません。その中で、ディレクター・チェアーに座り、黒い帽子に襟詰めの服にサングラス。黒澤明のような男が目に付きましたが、やはり監督でした。撮影という濃密なやりとりが交わされる空間では、役目と序列が一瞬に分かることはとても重要なごとなのでしょう。
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