これを機に親しくなったジャン・ヌーヴェルは、1995年に私が出版した写真集《Rite of Light II YUKIZURI》の前書きを書くことを快諾してくれました。その年の夏、彼は私の写真を携えてヴァカンスに入り、南仏から素敵な原稿を送ってくれたのです。 このような付き合いで、彼の代表作に関する知られざる逸話を多少知るようになりました。アラブ世界研究所の北西桁行き側にある円形の図書館のヒントは、実生活では図書館員または図書館長として、図書館を切り離すことの出来ない研究対象にしたアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスや、記号論の大家として著名なウンベルト・エーコの小説“薔薇の名前”に顔を出す、焚書のための迷宮図書館などにあったようです。
更にもう一つ、セーヌ川に面するガラスのファサードを平面図でよく調べると、この局面が複数の曲線線形をつなぎ合わせて出来ていることが分かります。人間の視覚は、一つの線形で立体を作ると形が歪んで見えることを矯正・調整するために、高速道路の設計に使用される線形や、造船設計の線形をヒントに作図したことなどを知りました。 その後のことです。建築家を始め、インテリアデザイナー、グラフィックデザイナー、レンダラー、映画監督、新聞記者、画家、彫刻家、写真家、造園家、照明家などと知己を得、1998年には、日本におけるフランス年の公式記念行事の一つにもなった、クリスチャン・オベット建築展《建築楽章》のプロデュースを引き受けることにもなりました。
このように幾度と無くパリを訪れておりますし、この街について私も何かを発言する義務がありそうです。これまで数多の人々によって膨大な文章が書かれ、また多彩な言葉が発せられてきたパリなのですが、皆様のご意見はいかがでしょうか?
こう言いながらも、いやいや、やはり最後にはこう訂正しなくては。言葉の羅列でなく、パリ市民の心意気とは、《たゆたえど沈まず/II tangue mais ne coule pas.》のフレーズに全てが象徴されているとお思いには? それを見に、それに触れに、そして味わうために、私たちはこの街を訪れるのかもしれません。