(東京都建築士事務所協会月刊誌 コア東京に連載中)
第4回 ベルリン(その1)
連邦議会議事堂(2005)
2001年9月の第28回ベルリン・マラソンで、高橋尚子は2時間19分46秒を出して当時の世界最高記録を打ち立てました。それも初めて20分を切るという大記録だったのでした。すると今度は渋井陽子が高橋の記録をわずかに破る、2時間19分41秒を出しました。この日本人女子選手五連覇の大活躍によって、2005年の第32回には、世界で一番小さい金メダルランナーと言われる野口みずきがいよいよ登場するという偶然の巡り合わせに私の予定がうまく合いました。これまでの記録の履歴が示すように、世界屈指の高速レースと評判の高いマラソンが行われるベルリンの街は、例年を上回る異常な興奮に包まれていました。TV中継するドイツ側の報道陣は、野口専用のカメラを2台も用意して完全中継をする準備もされていたのです。
現在私は東京理科大学の建築学科で設計製図と卒業設計の指導を担当しており、教材を仕込むため、後期授業が始まる前のこの時期を利用して、ベルリンの建築視察に行くと周囲に漏らしていましたが、実は、本音はこのベルリン・マラソンの撮影だったのです。
9月25日朝7時のこと、ホテルのレストランは出場する予定らしい大勢の市民ランナーで溢れ返っていました。予想に反して老人が圧倒的に多かったのですが、その何と騒がしいこと、若者たちとなんら変わりはありません。その彼等と合席になって立派な朝食を済ませ、撮影機材を抱えて外に出ましたが、スタートはなお一時間半後の九時なのです。
いかにもH・ヤーンらしいガラス建築のクランツラーエックを抜けると、正面はN・グリムショーの証券取引所です。通称“アルマジロ”呼ばわりされている奇怪なデザインも、鳥になって空から俯瞰すれば確かにその通りなのでしょうが、カント通りから見るファサードは、一見どこかで見たような地方の体育館もどきの建築で、ハイテク風の釣り柱が無骨に飛び出して少々気になります。ツォーロジシャー・ガルテン駅手前の高架橋の下を通り抜け、ハーデンベルク通りを北西の方角へ向かったのですが、今朝の気温は9度。凛としたほど良い寒さに、乾燥した空気はヨーロッパ特有のものです。空は雲の欠けらすら無い無垢の青空で、昼には20度を超える気温が予想されているような好天気でした。
野口みずきと7人の男達(2005)
スタートから2.5km地点になる円形のエルンスト・ロイター広場を背にして東に歩き始めると、見物人のグループが三々五々と連れ立ち、ティアガルテンの森に向かって足早に進んで行きました。6月17日通りを一直線に見通すと、徐々に朝靄の晴れてゆく中、1km先ではSバーンの駅“ティアガルテン”が高架橋となって通りを横切り、さらにその向こうに67mの高さのジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)が微かに見えるではありませんか。
スタート付近は観客やカメラマンに占拠され、撮影どころではないだろうと推測していました。でるから私の作戦は2.5km地点、エルンスト・ロイター広場辺りが良いと思っていたのですが、しかし何がなんでもこれは深読みでした。東京とベルリンを一緒に考えていたようです。ティアガルテン駅を過ぎても観客はゼロで、ついにスタートから数百mのジーゲスゾイレに着いてしまったのですが、それでもコース脇の観客はぱらぱらでした。
6月17日通りはジーゲスゾイレで一旦直径120mの円形道路によって左右に分かれ、再びこの通りに一本化されるのですが、両脇の深い森に囲まれた幅員40mの大通りの中央に幅3mほどの分離帯があることに気がつきました。路面をピンコロ舗石で敷き詰め、等間隔に街路灯が設置されているゾーンですが、撮影はここしかないと直感で判断したのです。
9598のランナー(2005)
正面200m先にジーゲスゾイレの塔が聳え、選手たちはそこで二手に分かれて円形広場を半周して再び一つになる。それがこの地点です。こんな劇的で重要そうな場所にカメラマンが独りもいないのも不思議でしたが、私は街路灯を背にし、その根もとにジャンパーを敷き、3台のカメラ、5本のレンズ、20本のフィルムを並べて広げたのです。選手は東側から走って来ますから逆行なのですが、スタート3kmは全て同じ条件です。
8時30分、コースの両側にほどほどの観客が集まりつつありました。時折見物人が、この分離帯の上を戦勝塔に向かって歩いて行きましたし、ある時はコースを管理する大会の主催者らしき男達も通りました。君はここで何をしているのか、歩道へ移動したまえ、などと命ぜられることを覚悟しましたが、不思議なことにそうならなかったのは幸運です。間もなく遠くから歓声が聞こえてきたところをみるとスタートが切られたようです。
最初に視界に飛び込んできたのは車椅子部門で、ハンドバイクの選手でした。その後しばらくして一団のランナーが幅40mの道路一杯になって現れました。どこに野口がいるかなど到底わかる状況ではありません。おびただしいランナーの群れが私の両脇を通り過ぎゆくのはほんの一瞬です。そのうち、ジーゲスゾイレを回りこんで疾走する左右の列が乱れ始めました。道路の両側を走る群集が突如中央分離帯に侵入してきたのです。何しろピンコロ舗装の上ですから走り心地が良いとはいえません。しかし、前が詰まり、思うに任せて進めず、業を煮やしたランナーたちがカメラを構えている私に迫ってきたのです。
大群衆の走るゴォーッとした轟音。まあ、大草原のバッファローではありませんが、なかなかのド迫力です。ランナーたちは私に衝突する直前に、際どく皆両側の車道に進路を変えるのです。もちろんそのまま真っ直ぐ走ればごつい街路灯に衝突しますから。こうして、すべてのランナーたちが走り過ぎるのに30分もかかったでしょうか。
ジーゲスゾイレ(2005)
ジーゲスゾイレを背に颯爽と疾走する野口みずきの勇姿を捉えることは出来なかったのですが、ある意味で、撮影ポイントの選定は間違っていなかったようです。
マラソンのスピードは女子の場合1kmで約3分15〜30秒で、秒になおせば5mほどになります。これは真横からですと、1/125秒で4cm、1/250秒で2cm動くことになるのです。しかしほぼ正面から捉えた場合は被写界深度との関係もありますから、1/60〜1/250でランナーを撮ろうと計算しました。今日は露光量を心配するような悪い天気ではないとはいえ、撮影場所の違いによる光量差は十数倍にもなるのです。装填されたフィルムは、ISO100と400です。速いシャッター速度であれば間違いなく撮れるのですが、これでは時間が止まって躍動感を表現できず物足りません。しかしブレ過ぎたら写真にはなりません。上半身はピッと止まり、下半身の足並みに少しブレが残る。さもなくば人物は止まるが風景は流れる。最低、そんな写真が撮れたら良いのでしょうが、初めてのマラソン写真です。
どうしてなかなかそう簡単には。結局カイザー。ヴィルヘルム記念協会の1km手前、32km地点で野口を捕らえることができました。いえいえ、ただの説明的な写真なのですが。
おちびさんの野口と彼女を取り囲む伴走者(120、130)、いや、男子の選手?それにしても登場する五人の男と例の専属カメラマン君たち。凄く得をしていますよね。何しろミス金メダルと一緒に写っているのですから。それとも、倒れこむばかりによろけてコップを受け取る9598番の男性。皆さんはどちらを?
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