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[Labyrinth of gaze in Venice “視線の迷宮ヴェニス”]アドリア海から吹き付ける冷たい風、また時としてアルプスからトレンチノを経て降り行く冷気と共に舞う重い雪。厳しい冬季北イタリアへの我々の思い込みとは裏腹に、一方、暖かい好天も続く二月から三月のヴェニス。毎年四旬節の直前に、そこで催される10日間の華麗な祝祭は、狂乱と退廃との妖しい匂いが立ち込める、まさに、世界中で最も話題性の高い特異で幻想的なイヴェント。
百を超える島、四百を超える橋によって織り成されるヴェニスは、迷路都市・海上都市・劇場都市・歴史都市とも呼ばれている。世界広といえども、ヴェニスほど多くの枕詞のつく都市は何処にもないし、またヴェニスほどそれが似合う都市もない。
1998年〜2000年の3年間をかけて、この時期のヴェニスを訪れ、私の視線はこの迷宮をとめどもなく彷徨い、その華麗な香り、その退廃の匂い、その幻想的な階調を、内なる網膜、外なる銀塩に焼き付けた。
金襴緞子に身を包み、極彩色の繻子を纏い、足にブーツ、手に手袋、頭には帽子や頭巾を被り、顔にマスケラを装着している。全ての者がそれぞれ異なる顔を持つように、喜び、怒り、悲しみ、頽廃、陶酔、快楽、愛情、秘め事、お人好し等、二つと同じ装束は無く、二つと同じ仮面は無い。二つの眼は仮面に穿たれた二つのアーモンド型のボイドの眼。他の二つの眼は窺い知ることの出来ない眼窩の中の眼。肉体の一部である生身の眼と、それを強調する隈取りの化粧。何かを探るように、見つめながら、覗き込んでいるはずの自分が、実は、逆に四つの眼の人々に見つめられ、覗き込まれている。仮面に穿たれたボイドの眼を通して、逆転の世界が生まれる。眼の奥に、更にまた眼があり、二重に重なり合って見える錯覚の世界。奥底に光り瞬く肉体の眼は、緑・青・茶・栗・灰・黒色と多彩。
この街の者か? よその国の者か? 何処から来たのか? “沈黙の四つの眼の人々”は、職業も地位も、更には性別さえも一切明らかにせず、ただ、ただ沈黙を守り、佇み、迷路都市をあてども無く移動する。
人間は仮面に、意味の表徴としての役割を果たさせてきた。権威の象徴や変身願望に応え、装着しさえすれば、全ての人に匿名性と平等性を約束してきた。歴史的に、海の街のおかれた、外敵との特殊な緊張感を取り去ることを目的として、肉食を断つ直前の、享楽であり無礼講のお祭り騒ぎだ。
眼は人間にとって、入力情報のレンズである。このインターフェース機能を通して、理性も感性も、更に行動も確認される。身体の中心は顔、そして顔の中心としての眼は、実は、思考の司令塔でもある。このパラダイムが見る眼、考える眼、聞く眼、そして時代を見通す眼ともなり得る。《眼は口ほどにものを言う》との諺の通り、仮面と顔との重なり合った“沈黙の四つの眼の人々”は、私にメッセージを残した。《お前こそ一体何者で、何をしに、どこから来てどこへ行くのか?》と。
マスケラも、“沈黙の四つの眼の人々”も、多くの観光客や住人達も、狂乱と退廃の匂いの籠もるカーニバルと、背景としての多くの歴史的建築群すらも、あのジョヴァンニ・ジャコモ・カサノヴァの影と共に、まるで蜃気楼のごとく、この格好の舞台であるヴェニスから消えうせてしまった。ヴェニスはそういう街である。
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